スタッフと技術力ビデオ(運針)

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経歴(着物プロフィール)

1992年 第1期生の指導

1992年 第1期生の指導

1992年 第1期生の指導
1992年 第1期生の指導

1992年 第1期生の指導

企業内インストラクター1TTでの風景 (株)日本創造教育研究所にて

企業内インストラクター12TTでの風景
(株)日本創造教育研究所にて

1960(3歳)

着物との初めての出会い。3歳のお祝いに母が夜なべして縫ってくれた赤い祝い着物

1967(10歳)

兄の中学入学式に着るために母は自分で着物を縫っていた姿に感動し「着物の仕事を 生涯の 仕事と決心」高校卒業までの期間を独学で着物を学ぶ。

1975(18歳)

福島県相馬女子高を卒業、東京の秋草短期専門学園入学後秋草かつえ氏に師事しながら呉服店に丁稚奉公に入り、着物の加工と販売を担当する。

1977(20歳)

大原和服専門学園入学、大原マサ氏に「運針」の教示を請う。

1980(23歳)

「ざくろグループ」に入社(多様な角度からのマナーを学ぶこととなる)

1983(25歳)

(株)銀座おおぎ屋に入社。
着物経験者1人という厳しい状況から始まる。
グループ会社(友禅など)設立に関与。営業マンの500名に及ぶ指導及び各着物関係各所の是正に関わる。
後のベトナム着物仕立て指導の「礎」となる。

1992年

(株)友禅退社。商社経由にて東洋のパリ、ベトナムホーチミンへ。国営会社「レガメックス」にて40~50名に3か月で「振袖留袖」を主力とする仕立てのノウハウを確立。
 ベトナム着物縫製が始まる。

1993年

6月 「ドックフック社設立」を企画実行担当
同年10月、日本側安藤氏「染装」設立、社長代理として関東初の「着物の斬八の輸出入」ノウハウに取り組む。

1997年

7月 (株)染装がドックフック社との決裂により退社。数百人のスタッフの引き抜きにあうが、同年8月に残されたスタッフとともに「(株)きもの職人」を設立、代表取締役社長就任となる。

1998年

(株)日本創造研究所の田舞徳太郎と出会い、当時のSA,SC,LTコースを社内研修に取り入れる。
企業内インストラクター養成コース終了
田舞塾第一期生として8年学ぶ

2003年

(株)日本和装はじめ多くの取引先との出会いで業績を伸ばす。
4月、田舞塾生78名にて、ベトナム研修訪問

2005年

3月にドックフック社にて750名のうち400名の「引き抜き」が発生また同年7月一番の取引先であるきものブレイン「KBベトナム」を設立による独立のため、取引停止
同年11月、(株)パールトーン取引
               (株)ブルシェール取引、その後業務提携
「(株)着物の職人ブルシェール」に社名変更

大局を退くが・・多くの裏切りに会いまたもや着物の職人が設立した現在の「パールトンベトナム」の着物工場の利権も失う。 この時点でベトナムホーチミンには当社からの着物ワーカー引き抜きによってのみ設立された着物工場が20社になっていた(現在30社) 将来のベトナム着物縫製を考え、ベトナムでの在住による指導及び経営の絞り込みを決意し、2007年からHCM在住し現在に至る。

2006年

品川にて資本金1000万円(株)オフィイス衿子を設立
Vietnam政府会社設立の法改正がありホーチミンにも会社設立

2007年

(株)オフィイス衿子がベトナムHCMに外国法人100%資本の会社現「Kimono E Japan Co.,Ltd.」を設立し着物ワーカー340名と再スタート

2011年

ベトナム国内における雑誌ビジネススタイル2011年「Top100」に選出される。

2012年

4月にベトナムTV「HTV4」にてTV出演
ベトナム国内における雑誌ビジネススタイル2012年「Top100」に再度選出される。

9月北部タイビン省にて第2工場開始

2018年

9月南部一軒家の第3工場開始