スタッフと技術力ビデオ(運針)

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2024(令和六年)


KIMONO E JAPAN CO.,LTD.
代表取締役社長
渡部衿子(WATANOBE ERIKO)
着物企業アドバイザー
着物着付け指導師
KIMONO MEMORIES 主宰
HCM日本商工会会員

2024年度代表挨拶
「きものは掃除に始まり掃除に終わる」
「流は万流 仕上げは一つ」

この4月92歳になった母から子供の時に聴いた言葉である
改めて先日この諺の由来を聞いた。
なぜか?
この諺は当社の指針であり、Vietnam着物仕立ての社訓でもあるからです。

母が言うには
15~18歳の頃仕事が無い冬の季節に通った着物の先生から言われた諺らしい
当時もうかなりお年を召した
「小野田先生という方」から言われたとの事、
改めて言葉の出どころ聞いたところ
「伝聞だべ~」との事で、当時から「着物習う人はみんなこの伝聞を言われて学んだ」そうです
日本には伝聞=言い伝えが多くありますが
私が二つの専門学校や成人になり着物業界には長くお世話になったが、小野田先生がおっしゃった伝聞」は
聞いたことが無いまま現在に至ります。

振り返りますと
1992年ヴェトナムに出逢い
ご飯が食べられるように「着物の縫い方を指導」した
あの5月から数え33年目を迎えるこのVietnam着物仕立て」に深い感慨を最近覚えます。

日本⇔Vietnamの輸出入書類の構築の大変だった初期。
当時はまだ今の様にインターネットが無い時代。
全てが手作業だった。
1995年当時
富士通と共に開発(大塚商会が扱ってた)会計ソフトくらいしかなかった時代。
輸出入業務の資料ソフト化しようとして半年も時間と費用を費やした時期もあったなどなど。
全ては古いローカルな想い出です。

当時
Vietnam着物仕立てにおける輸出入暫八(暫定八条)はとにかく難しい挑戦だった。
何度も東京税関に通い!着物の説明を担当者が変わる都度着物の説明に行き。
当時ドイツの子会社である株)エアボーンエクスプレス(のちの佐川国際事業部へ)と某社のソフトに詳しい担当者との
出会いによりこの暫八資料オリジナルソフト開発が完成し大幅な時間短縮となった事が物流会社の簡素化も招き
各方面からの着物がVietnamへ仕立てに流れていく事になったのも大きな一因である。
また
何処でも共通になった
仕立て指示書(着物を仕立てる寸法が記入された仕様書の事)のフォームも私が1992年当時のフォームを使用。
着物の専門用語の日本語の指導
育てた教え子の多くの引き抜きに遭い現在Vietnam(9割はHCM)に55社の着物工場乱立。
書いたら書ききれないので、
エトセトラ!!

近年の出来事では
2020年度から発生した世界的コロナによる色々な弊害にも拘らず
日本のお客様のお陰で当社も縮小しながらでも、逞しくVietnam着物仕立ては継続中です。
これも日本のお客様とVietnam当社との努力と信頼関係の結果と信じております。

また皆様にお伝えしたいのは
Vietnamの着物仕立ては「人件費が安いから」着物の仕立てがVietnamにまで来てるのではありません。
1992年当初子供達ワーカーの賃金体系を決めたのはこの私です。
「基本給(Vietnam政府が決めた最低賃金)+歩合給」最初からVietnam国内の平均賃金より数百倍?
の所得だったはず。
勿論当時の為替はVNDの価値は(とにかく低かったですから)
しかし
1992/08一時帰国中の羽田空港にて
「Vietnam政府から強制送還の指示を受けて居た事を知る」その為
当分Vietnam入国禁止の書類指示を貰ってしまう。
しかし翌1993年6月にVietnamに入国することが可能となり、
1992年の第一期生を集め直し・・再スタート等々。

子供たちの能力開花に穏やかな二年を過ごしていたが
1995年から当時のこの工場を視察に来た
某日本の仕立て家業の社長による引き抜きが始まりその後長い間引き抜きに悩む結果となる。
「衿子!あなたはキモノワーカーの生産工場の様だ」
「衿子、日本人は着物をわからない人(引き抜いていく社長が素人ばかり)に
なぜ自分の大事な着物の仕立てを預けるのか?」とVN人責任者に言われ続けた時もあった。
また「きものは(アオザイと同じようにその国の民族衣装でしょ!)なぜ日本人は民族衣装である着物を大事にしないのか?と!!
言われたな~~。まだまだここに書けないことも多く。
(ビジネスと言えど当時泣けた!)

Vietnamの着物仕立てが綺麗なのに、Vietnamで仕立ててると言えない!!と
何度も言われたな~~
また某仕立て屋の社長には「あなたがVietnamで教えたから日本の和裁士は仕事が無いのよ」と
言われたのも印象的でした。
私がどれほどに1980年代の着物業界に失望した後に出逢ったVietnamだったか?を知らない日本人が多すぎる。
またそれはなぜか?
この仕立て屋さんもビジネスの為とは言え
(今は他のVietnam着物工場へ出してる)この当時当社に仕立てを出して利益を得ていたのですよ。
これ以上はもう書けないですね。

現在
円安加速及び飛行機による物流高騰は避けられず。
しかし
日本国内の着物仕立て商品はどうしてもVietnam着物仕立てのレベルが必要です。
暫八からRCEPになったとはいえ重くのしかかる円安
一回の輸出入で採算がとれる出荷枚数は100枚?130枚?といや150枚?厳しい時代を迎えています。

「日本の着物の仕立てを維持し支える及び後世の為に」出来る事。
それは日本国内の着物に関わる全ての業界(着付やリサイクルや写真館に関わる人々全て)
の在り方が
今、問われる時代を迎えていると私は感じてる次第です。

当社の技術は32年の間Vietnamに多くの着物工場を作る事になり、
日本を下支えしてきたのは事実であり真実である。

そんな中当社は
当社を支えて来てくれた取引先様の苦労と努力にいつも社員と共に感謝しミスの無い
様に一枚でも多く一人でも多くの人に綺麗な着物を届けたい想いで
現在も取り組んでおります。
「きものは想い」です。
お客様お一人様お一人様がどんな思いで購入に至ったのか?
お母様やおばあちゃまのお着物を仕立て直して着る方も多くおられる時代です。
その着物への想いを
いつも想像しながら一枚一枚のお着物の裁断お仕立て向き合う様に
現場に伝えて取り組んでる日々です。

時々以下の様なお客様の声を届けて下さるお取引先様。
「Vietnam着物仕立て綺麗ですね。」
「いつもありがとう頑張ってるね!」と
言って頂ける現場の喜び。
これからももっと多くのお声が届く様に頑張って行きたいと思います。

最後ですが昨年末に出逢った今では愛読書の
徳山先生https://kijun-tokuyama.jp/profile/
聖徳太子が残してくれた「成功の自然の法則」読みながら

後世の子供たちに日本の誇りある着物の何を残してあげるのか?
運針、鯨尺、紐一本の着付け、針の歴史、故人の着物の大切さ、等々。
考える日々です。
一緒に伝え残していきましょう。
伝聞ではなく本にします。


代表取締役社長
渡部衿子
WATANOBE ERIKO
2024/吉日